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起立性低血圧、8年以上の奮闘記

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発症

ことの発端は高校入学後2か月ごろ。

春の運動会がすぎ、朝課外が始まって1~2週間と経たない時でした。

※朝課外とは、通常授業が始まる前に1時限分設けられている授業のことです。
 九州にしか存在しないと最近聞いてかなりびっくりしました。
 普通にテキスト配られて(買って)予習しないといけないです。
 ほぼ強制ですが出席時数にはカウントされません。

私が幼い頃から習ってきたクラシックバレエの教室は、夏に控えた大きな発表に向けて、すでに冬から準備・集中的な練習が始まっていました。

ただでさえ量の多い各授業の課題に予習まで手を回し、夜は遅くまで習い事。

布団に入るのはAM2:00。
起きるのはAM6:00。

頑張り度200%。
・・・いや、キャパ的にはもっとかもしれない。

ある時学校の帰り道で、中学校時代同じクラスで仲良くしてくれてた友人と偶然再会。

近くの公園のブランコに座って、高校どうよ?みたいな話をしていました。

「面白くてキャラ強い先生多くてさー、一人称下の名前で喋ってくる(もちろん冗談交じり)先生とかいるんよ(笑)」
「ずーっと黒板と喋ってるみたいな先生とかさ」
「あの先生顔がカエルに似てて(失礼)、英語の先生なのに”wh”の発音が”F”でさ~」
みたいな話をした気がする。

・・・すると急に気分が悪くなってきて、頭全体にガンガン響くような痛みが。

頭痛持ちだったので、常備していた薬を慌てて取り出す。

友人にごめんと言いながら、しばらく座り込んでしまいました。

少し時間がたって、薬が効いたのか症状が落ち着いてきたので、友人と別れなんとか帰宅。

――子供の頃からいつも、疲れたり少し無理をすると、決まって片頭痛になっていました。

小学生の頃なんか、片頭痛になると胃の内容物すべて吐き戻してしまい、学校を早退して小児科で点滴してもらっていたほど。

私の片頭痛の症状は、最初目がちらちらして文字が読めなくなっていき、次第にぼうっとして喋れなくなっていきます。
今聞いたことを覚えていないレベルで頭が停止して会話ができなくなるんです。
その後症状が進んで酷くなってくると、寝ようと思っても痛すぎて寝られず、のたうちまわって苦しみます。

結構酷い方だったのかもしれない・・・

今回の頭痛もきっとそれだ。

薬飲んで寝たら治る。
最悪明日学校休んでも、数日後には元に戻っているだろう。

そう思っていました。

でも、次の日になってもその次の日になっても、一向に元気にならないのです。

別に、ずーっと片頭痛ってわけではないんですが、朝起きた瞬間からなんだかずっと頭が重い。

ずっときついしだるいし、立ちくらみはするし、気持ち悪すぎてごはんいらない。
起きるのも10:30とかそれ以降にならないと無理でした。
んでもって、夜は夜でなかなか寝付けないし。

なんだかおかしい。

母は心配してあちこち病院に連れて行ってくれました。

頭痛クリニック、耳鼻科、日赤・・・いくつか行ったけれど別に異常はないとか、そんな病気はありません(怒)とか言われたので、いつも片頭痛の時にお世話になっていた小児科へ。

症状を伝え、血圧を測ってもらうと、上79・下60ほど。
低い。

横になって測る→座って測る
・・・というのを数回繰り返し、下された診断は「起立性低血圧症」(起立性調節障害)。

通常、体が起き上がる時に低下する血流は、体(自律神経)が調整してくれて正常に戻ります。

それが上手くいかずに、起き上がった時にさーーっと血圧が下がっていくのがこれです。

それによって、頭痛/気分悪い/立ちくらみ/食欲不振/不眠/朝起きれない/きつい/だるい・・・などの症状が起こります。

どん底高校生活

結論から申し上げますと、高校は三年間まともに行けてないです。

まず急にぶっ倒れてから半年近く、不登校状態でした。

たまーにプリント回収しに行ったり、6限とか7限のたった一時間とか出席してみたけれど、すーぐ保健室に駆け込んで早退。

片頭痛の初期症状みたいに、たった今話しかけられた内容を覚えていなくて全く会話ができない・・・みたいなこともしばしば。

まあ、ごまかしてたので周りはもしかしたら気づいてないかもですが。

一時期、私立の通信制高校への転校も考えました。

このままだと授業に出られないので、高校卒業資格すら手に入らないぞと。

いくつか学校見学にも行きました。

でも、当時の担任の先生がよく面倒を見てくださり、
「この学校の一年生をクリアすれば、通常の学校の一年生よりも多く単位もらえるから、いずれにせよのちのち得だよ」
って仰るんです。

んー・・・じゃあせっかく頑張って勉強して受かって入学したし、勿体ないから一年生の間だけ頑張ろうかなぁ

っていう結論に至り、ちょっと特殊な規定を使わせてもらって、保健室登校&自習を交えながら授業に出席し、どうにか一年生だけは・・・っていうつもりで通いました。

どうせみんなと同じ行動なんてできないので、修学旅行は自主的に辞退。

その間は保健室に通って自習してました。

一年生って一目で分かる緑のスリッパ履いて歩くの、緊張したなー。

靴箱から保健室まで20mあるとかないとかの距離なのに、誰かに見られやしないかとひやひやでした。

そんなこんなで、一年生はなんとかクリア。

進級おめでとう。

そのころになると、どうにか保健室登校続けさせてもらえれば、学校に通い続けられるかもしれない・・・って感じになってたので、転校はしませんでした。

とりあえず来れた時間に登校、遅刻届を職員室に出して、保健室へ。

どうしてもきついときは保健室で休ませてもらい、出れる時は授業へ。

ただ、なぜか雨の日になると一段ときつかったり、梅雨の時期とかまーじで不眠がひどかったり。

暑くなると途端に体調悪くなったりしてました。

とにかく朝きついので、1とか2時限目の授業の出席時数が危うくなったりもしてました。

2年生以降の成績は、現代文(国語)以外は後ろから数えた方が早い成績を残しながら、なんとか頑張りました。

赤点ぎりぎりのラインを縫い、3年生の最後の最後の数学だけ追試になりましたが、なんとか卒業までこぎつけました。

転校検討に待ったをかけてくれた当時の担任の先生には感謝感謝ですね。

ただ、一応周りからの勧め(圧力?)でセンター試験と大学受験の試験会場に行きはしましたが、こんな出席状態成績状況で受かるはずもなく。

高校卒業だけして大学進学はしませんでした。
正確にはできませんでした、かな(笑)

将来不安/迷宮

高校在学中も卒業してからも、これからどうしよう、どうすればいいんだろう・・・っていう不安は常にありました。

あったがゆえに直視できず、1年生の頃はハマってたマイケル・ジャクソンの曲をずーっと聴き、MVを何度も見て現実逃避してました。

今からダンス習って上達して仕事にできれば、学校卒業できなくても大丈夫では・・・?とか突飛なことを思ったりもしてました。

2年生の頃はONEPIECE好きで、ちょっと著作権グレーな感じのサイトで動画見たり(おい)、ダンスバトルゲームとかあったのでやり込んでた記憶があります。

3年生の頃はスマホの乙女ゲーとかにハマってたかな。

結構何タイトルもDLしてました。
お小遣いないから無課金だけど。
ちょうど声優さんのCVつくのが一般的になってきた時だったかな。

高校卒業後、何もしてないと親が心配しすぎて圧力かけてくるので、幼い頃キーボード習ってた先生に再度師事して、音楽系を仕事にできないかと思ってた時期もありました。

頼れる人脈があれば、周りが安心するからです。

でも結局、音楽には一生涯かけられるほどの熱意も覚悟も、才能もセンス実力も、やり遂げる気力もありませんでした。

裏方業務を手伝わせてもらったりもしましたが、2年弱程で消滅。

しばらくはまともにアルバイトすらできる気がしなくて、二の足を踏んでいました。

頭がぼうっとするのに、業務を覚えられるのだろうか。

私が動ける時間から始業の都合のいい仕事なんてある?

いつ頭痛が出てくるか分からない。

急にきつくなっても、頼れる保健室なんてない。

そんな不安定な人材要らないんだからと、やめさせられたりしないだろうか。

そんな不安がぬぐえず、家でできる仕事を探したり、情報収集してアフィリエイトを勉強してみたりもしました。

結局いまいち発信の仕方が分からず、お金にはつながらなかったのだけれど。

そうやって耐えてるのを知ってか知らずか、親は「浪人してもいいから進学しなさい」「資格の勉強して就職しなさい」って常に言ってきました。

たとえ奇跡的に学校受かろうが就職決まろうが、不眠かつ朝起きれないなら高校の二の舞じゃないかと思っていました。

実際、学校行かなくてよくなってから、さらに朝弱くなっていましたし。

雨の時期訪れる謎の不眠、暑さで増す不調も変わらずでした。

食欲がさらに減退し、痩せては少し戻るを繰り返すうち、高校の時より6kg程体重も減りました。

ただ体きついだけなのに、努力が足りないだとか覚悟が足りないだとか、やる気がないとかどうせやりたくないだけだろとか言われるのが一番腹立つ。

んじゃてめえやってみろや私と同じ条件下でなって言っても、想像力の欠如した人間とも言えない生き物には意味ないんですが。

馬鹿は4んでも治りません。

どうして自分生きてるんだろうと思っていました。

一般的に青春だと言われる高校生活は闇に葬り、人生で一番楽しいと言われる大学には行かず、将来どうすればよいのかという不安と絶望に毎日浸っている。

弟や周りの友人は進学し充実した生活を送っている。

それに伴って、お前はどうすんだと言い親族は圧力をかけてくる。

私が一番悩み苦しみ辛い思いをしているというのに・・・といつも思っていました。

――フグって案外簡単に釣れます。
防波堤とか、汽水域の河川とかから。
そしてフグの内臓は死に至らしめるほどの猛毒を含むと言います。

よくないこと頭よぎったりもしました。

将来探し&足掻き期

高校3年生以降、リアルな絵を描くのにどハマりしたので、将来は絵で食べていけるようになれないかな・・・と安直ながら思っていました。

好きなことだし時間を選ばずに活動できるし、就職できなくても働けないかと期待したんです。

ただ、実力的にもすぐには無理だというのは分かっていましたし、練習して発信できるようにならないといけないからしばらく時間がかかる。

絵なんて習ったこともないし、美術科に通ったわけでもない。
経験も人脈もなにもない。

しかも、さすがに親にずっと国民年金・健康保険を払わせるのも申し訳ないし。高いし(#`Д´)。

何をするにしても、少しお小遣い稼がないとなーと思い始めました。

昼以降出勤できて、ぼうっとしてる時でも働ける仕事を求め、バイトを探しました。

接客は頭働かないときついな。
ってか人見知り/陰キャ/コミュ障の私には無理だろう。
うーーん、事務系は朝早いし電話無理そうだし・・・
でも嫌いなことしたくないし(我儘)。

動けそうな時間を選んで働くために、最初に頼ったのは派遣会社でした。

かなり広い時間帯から選べたので、その中から5時間くらい希望の時間に出勤して、作業して帰るっていうのができる、うってつけの条件でした。

1日5時間、週4日とかなので、絵を描く時間もとれる。

派遣先が倉庫系の作業なら、恐らく人と大して喋らなくてもいいし、業務内容は覚えるほど難しくないだろうと思い、大手運送会社の仕分け業務に携わりました。

同じようにパートタイムで働く主婦の方とか、親と同じかそれ以上のご年齢のお姉さま・お兄さまとお喋りできたので、基礎的なコミュ力が鍛えられた気がします(笑)

20歳とか21歳とかだったので、かわいがられましたし( ̄▽ ̄)

案外楽しかったんですが、どうしても嫌な人がいたり、上の人員管理の杜撰さとか見えてきた挙句・・・最終的には腰痛めたので1年ほどで辞めることに。

その後、腰休めて治している間に見つけた、「サポート付きで海外製アパレルをネットで輸入販売やりませんか」、みたいなやつに挑戦しました。

制作や発送は出店元がやってくれるので、その中からよさそうなのを選んで販売するセレクトショップみたいな感じでした。

これで多少なりとも稼げるなら、外に働きに行かなくていいから絵を描く時間もあるし、将来的には完全に自営業で働けるのではないか・・・と期待に胸をふくらませました。

サポート付き≒第三者公認/介入だと親も説得できたので、この頃から精神的には楽になっていきます。

でも、サポートついてるはずなのに、肝心の売り方とかコツとかは全く教えてもらえないし、聞いてた話と全然違うし、取り扱う物も品質信用ならないし(中国製)、輸入かつ受注販売だから発着も遅いし・・・

ってかサポート費たっかいし!!

ちなみに、未だ全額支払い終えていません(笑)

もう関わりたくないので、別に返金してくれとか言うつもりはないんですが、なんていうか騙されたなあ。

※みなさん、B△SEはネットでかなーーり集客できるようにならないと売れませんよ。
 開設は無料だし簡単だけど、気を付けてね。

加えてコ□ナ騒動も追い打ちになり、中国輸入セレクトショップは勝手にやめてしまいました。

全然成果は出ない上にサポート費は最後まで支払わないといけないので、またバイト探すことに。

作業系が性に合ってそうだと思っていたので、腰が楽になったところでもう一度倉庫系の仕事探しました。

次は、受注後ピッキング・検品・梱包など発送準備をする仕事でした。

扱うものは軽量のものが多かったし、作業内容も一つではないので楽しめる・・・と思っていたんですが、これが結構きつかったんです。

昼から働けたものの普通に週5出勤。
昼以降は休憩がないので、ぶっ通しで6~8時間作業(繁忙期はもうちょっとかかったかも)。
終わるまで帰れない。

ふざけんな。

結構、頭痛頻発してました。

外で肉体労働しながら、家ではネット販売のPC作業を頑張る。

絵描く暇ない。

働きながら絵を上達させるのが目的だったのに、これでは本末転倒。

体力続かないし、いろいろきつくなったので8か月くらいで辞めました。

最初サポート付きで始めたネットショップの方は、輸入販売をやめた後もしばらく続けていました。

自分でデザインしたTシャツとかパーカー、iPhoneケースなんかを販売。

プリントデザインしかできなかったので、服そのものの形とか素材はテンプレから選ぶしかなかったんですが。

デザイン考えて描くのは結構楽しかったです。

今でも、色鉛筆画デザインしたやつはYoutubeに残ってます。

ただ、名前にブランド力がないので全く買ってもらえませんでした(笑)

一応発信はしてたんですが、集客が下手くそですからね。

でも、中学時代の友人が気に入ってくれて、いくつか買ってもらえたのは嬉しかったです。

コ□ナが加速し始めたころにバイトやめちゃったからか、次の求人探すのは結構苦労しました。

そして、データ入力の仕事だと勘違いして、お中元の受付に短期で応募してしまいました。

面接受かって仕事内容発覚した時、わーどうしようお客さん相手緊張するぅ~、しまったーーとか思ってたんですが、これが案外おしゃべりというものが楽しいことに気づいたんです。

多分、これまでの倉庫業務でいろんな人と話すうちに、コミュニケーション能力は鍛えられたんでしょう(笑)

ただ、コ□ナでお客さん減った・・・と言えどもばかみたいに忙しかったので、次シーズンはやらないわと心に決めていました。

本当はリゾートバイトにも興味があったんだけれど、なにせ早起きできないし体力ないしで諦めました(当然)。

その後接客やるのもいいなあと思い、応募したのが今働いている自転車屋さんでした。

家の周りが坂だらけなのでママチャリでは辛く、クロスバイクを購入したあたりから自転車には興味があったんです。

・・・そこで車に乗るという選択肢が出ないのは、運転中にぼうっとなったら怖いなという気持ち半分、駐車苦手でどこにも行きたくない気持ち半分でした(笑)

お店のオープンは10:00とか11:00なんですが、夕方15:00から閉店まで働かせてもらえることになりました。

これが結構楽しくて、知識を詰め込むのも苦にはならなかったんです。

今まで接客業避けていたのが意味不明なほど、普通にお客さんとお話しして、ちゃんと商品説明までして保証保険なんかをご案内して・・・というのが主な業務です。

春と言う名の繁忙期は気が狂いそうなほど忙しいですが、始めていつの間にか1年過ぎていたので(最長記録!!笑)、案外自分に合っていたのかもしれません。

脱出の糸口

バイトのお仕事内容自体はとっても自分に合っていたのですが、まだ体調は克服していなかったので夕方出勤は変わらずでした。

世間では、コ□ナは長引き枠珍接種も始まり・・・

世の情勢に興味を持ったあたりから、それに伴って医療や食事・健康なんかにも興味を持つようになったこと。

それと、学生の頃から結構ニキビが酷くて治ったためしがない・・・とか、よくお腹が急激に張って痛くなる現象に見舞われたり・・・とか。

そういった気になる体の異状を解決したいと思い始めたのが、結果起立性低血圧の克服につながることにもなりました。

今までは、もうこの症状たちは体質なんだ、諦めて付き合っていくしかないんだ・・・と思っていました。

実際どんな病院に行きどんな検査しようとも異常なし。

いろんな治療法を試しましたが効果なし。

自律神経なんて、「この病気にこの症状ならこの薬ですね」「投薬で治しましょう」「手術で治しましょう」とかそう簡単に事が運ぶものではありませんでした。

ですが、治すことはできます。

というか、できました。

8年以上悩み苦しんだ私が証明です^^

結論から申し上げます。

「病院には行くな」

です(笑)

ここで全てお話しするととんでもない長さの記事になってしまうので、別のページでしっかり、「実際試して効果があったこと」「効果がなかったこと」を両方ともお伝えします。

効果がなかったものは経験談、効果が見られたものはしっかり理屈まで調べ上げておりますのでお楽しみに。

では今回はこの辺で^^

最後までご覧いただきありがとうございましたm(__)m

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