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創作リアル人物画へのきっかけ

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1997年(H.9)生まれの熊本県出身/いて座/B型/旧活動名:絵楽
色鉛筆歴は7年ほど。独学だが画家を目指している。
高校生で運動会のパネル制作に携わったのをきっかけに、リアルな人物画にのめり込む。
美少年・美青年を画用紙の中で生きているように描くことを目指している。
終末世界に希望を見出すような作品を描きたいと思っている。

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☆私絵楽の原点誕生物語

これは絵楽という活動ネームが誕生するちょっと前のお話。

――それは私が高校三年生になる年在りし日の冬。
私の通っていた高校はとあるピンチに直面していた。

……次の運動会の、パネルの担当がいない。

パネルとは、各団一つずつ制作されるもので、
その時話題になった有名人を描く。
出来上がったパネルは運動会当日に団席の後部に設置される。

四団あるのでパネルは四つ。パネル一つで3M×5Mくらい?ある。
板を10枚つなげて作るのだが、最終サイズはとにかくでかい。

例年ならば、美術部が担当する(私は習い事やってたから帰宅部だった)。
だが今年は美術部が全員卒業してしまい誰もいない…
そこで駆り出されたのが漫画研究同好会だ。

が、彼女らもまた一~二人しかおらず、
周りで仲の良かった美術選択者数人が手伝うことに。

そこに、私がいた( ̄▽ ̄)

絵を描くのは苦手ではない。
むしろ好きだったし、習ってもいないのに
よくわかんないけど受賞したこともある。

小学生の時に読書感想画が一回と…中学の時に先生が勝手に出品してたり。
中一の時にしかなかった写生大会はなぜか特選。
とはいっても特選も5人とかいたんだっけな。
詳しいことはあまり覚えてない。

パネル、人手が足りないならばしょうがない手伝うさと(謎の上から目線)、
人物画なんて真剣に描いたこともないのに手伝いを決めた。

このときまで人物画なんて描こうとも思わなかった。
美術や図画工作の授業時間、空とか植物とかを、
絵の具で描くのが好きだった。
自分の好きなクリアな青に、乾いた白の絵具で雲をのせていくのが特に。

でも周りの絵が上手いと言われてた子は、漫画絵が上手だった。
かわいい顔の女の子に、かわいいミニスカートはかせて、ウィンクしてるような。

でも私は、割と幼い頃から習い事を詰め込んでいたので
漫画やアニメを鑑賞する習慣がなかったせいか、
そういう絵はまるで描けなかった。

でも、だからって別に、みんなに褒められるような
かわいい漫画絵を描けるようになりたいとは
微塵も思わなかった。

小学校中学年頃から、みんなと違うことをしてたい、
みんなができないようなことができていたいと思うような子だった(生意気)。

かといって、写実的な絵なんて描けるわけないと心のどこかで思っていて、
人物を描こうなんて思わなかった。
人の顔を描くのは、むしろ苦手だった。

でも大仕事として初めて、いざ人物画を描くってなったら。
そりゃあ一生懸命やらずにいられるもんですか。
写実的に描いてる似顔絵とか、描き方を探した。
やるならとことんやりたかったから。

…するとどうだろう。
世界には、こんな表現技術を持った人たちが存在するのかと思った。

もう写真にしか見えなかった。

これ鉛筆!?これ色鉛筆!?とか言いながらYoutubeとか画像検索して見てた。
衝撃だった。何度も何度も見て感激してた。

でもとりあえずこの時は、ここまで描けずとも
なんとか似せてパネルを仕上げられればと思った。

初めて触れる人物画で、でっかいパネルの作成は思った以上に大変で…
そしてこの上なく楽しくやりがいがあった。

似顔絵の参考にする写真を選び、配置を決め、
顔のパーツを測り何倍にと計算してから、下描きをする。
ワイシャツとネクタイの参考がほしいと、学年主任の先生にお願いして
ポーズをとってもらい撮影したりもした。

初めて本格的に写実的な人物画を描いた(結果そこまでリアルでもないんだけど)。
ものすごく大変だったし、運動会に間に合うか間に合わないかの期間との勝負もあった。

雨の日はペンキが乾かない外で作業できないなどと、
抗えない力に阻まれたりもした。

…鳥の糞が降ってきたりとかね(最悪)。

入学後2か月という短期間で不登校のち保健室登校という
生活が続いていた私だったけど、
この時は春休みだろうが学校に行ってた。
この数か月が、高校生活3年間の中で一番楽しかった。

…そう言えば、その前年度の文化祭の時も絵を描いた。
酒瓶の並んでる棚の絵(模造紙サイズ二枚)と、ポスター用のどくろの絵。
私のどん底高校生活で、楽しかったのはいつも絵を描いていた時だった(笑。

運動会(=パネル制作)が終わっても、私の似顔絵フィーバーは終わらなかった。
…いや、むしろ加速していった。

鉛筆と紙さえあれば絵なんてどこでも描ける。
学校にいれば絶対机の上にある。ニヤリ✧

なんのこっちゃさっぱりの数学の授業・英語の授業は
絵を描く絶好のチャンスだった。
倫理の授業なんて偉人の顔の像とか教科書に載ってるから、
それ見ながらひたっすらノートに似顔絵描いてた。

一番いいのはテスト中。真剣に問題問いてる風して
思いっきりお目目とか描いてた( ̄▽ ̄)
数学ⅡBなんて問題に目を通したら一瞬で終わるじゃん?
わかんなすぎてとばしまくってさ(保健室登校者はまともに授業出席できてませんでしたからね笑)。

高校を卒業する時には、お世話になった先生数人分の似顔絵を
アクリル絵の具で描いて、メッセージカードにした。

こうしてちょっとずつ描くうちに、私もあのYoutubeにでてきた
絵くらいリアルに描きたいと思うようになった。
あの動画のように、色鉛筆で。

でも、同時にこうも思った。
…誰かがやってることを、後ろから追いかけたくない。

小学生の時から抱いていた、
「違うことしてたい欲求」の延長線だった。

先駆者がいるのだし、上をみればとことん上はいる。
写実性を求めて、写真のようなリアルな絵を求めて
日々絵を描いている人は、探してみればごまんといる。

それに、同じ土俵の上に立てるとも思えない。
才能を備え、努力を惜しまず時間を重ねてきた人に
学もないぽっと出の凡人が、同じラインでものを語ろうなんて
おこがましいにもほどがある。

…じゃあ私は、写真を模写するのではなく、リアルな創作人物画を描こう。

まだ似顔絵もろくに描けない、
色鉛筆すらも手に入れてない時点で、
私はこんなことを考えた。

これが、今の私の活動の原点である。

高校卒業後しばらくして色鉛筆を手に入れ、画用紙も選んだ。
実際描いてみると、さまざまな問題が発生した。

私は立体の理解ができていない。
想像力に乏しい。色鉛筆の色を理解していない。
選び方が下手で色を活かせていない。
混色が下手。遠近や距離感がわかっていない…。

まず、人間描いたつもりでもなんか人間じゃないっていう。
(・・・初期の絵を見れば一瞬で分かるけど、
恥ずかしすぎるから切り刻んでなかったことにしました)

人物デッサンとかもしたことないし、
色鉛筆なんて小学生の遊び道具だと思っていたから、
当たり前といえば当たり前なのだが。

昔から私は自分の出来に厳しい上に(眼高手低)、諦めが悪い。
一度できるようになりたいと思ったことは、
いつまででもチャレンジし続ける。
(カラオケで気持ちよく歌うために、発声を自力で練習し続けているとか)

上達の方法を考えるのも好きだ。
中学の頃は、半分意地だが塾に行かずに、
県内でも有名公立高校に合格した(田舎なので公立の方がもてはやされます)。

ということで、私は私の目指す絵を描けるようになるために、
自分の方法で研究をすることにした。
上記のように私は、自分の出来に厳しい上に諦めが悪く、
私だからできると調子に乗るタイプである。

その性格を活かしつつ(記事にはなんの関係もないけど)、
色鉛筆創作リアル人物画を描けるために必要なことを洗い出し、
研究し、自分なりの記事を書いていけたらと思う。

高校の運動会(=パネル制作)が済んだとて、
似顔絵フィーバーが済んだとて、
私の人物画制作物語は終わりを迎えていない。

P.S.

初めてこの記事を書いてからおよそ一年。
2020年6月4日。弟20歳の誕生日。

ここ数週間でようやく、人間という立体を描けるようになってきた。

色や質感、画材の研究などまだまだ伸びしろは大きいが、
約4年ほど夢見ていた企画をようやく
実行にうつせる日も遠くないかもしれないと思うと
とってもわくわくしながら練習を重ねている。

・・・コロナの影響かバイトのシフトに
なかなか入れてもらえず、懐が寂しいのは置いておいて(余計)。

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